一周まわって
最近,会社で缶コーヒーをよく飲むようになった.
本当はコンビニのドリップコーヒーのほうが美味しいのはわかっている.あれは革命的な値段と美味さで,手軽に手に入れられるコーヒーとしてあれを超えられるものはないし,何なら喫茶店のたっっっかいコーヒーよりも美味い.ちょうど大学に入学した年にコンビニコーヒーが大流行して,貧乏学生のくせによく買ってはキャンパスで飲んだ.
ドリップコーヒーと缶コーヒーの値段はほとんど一緒で,味は明らかにドリップのほうが優れている,と思っている.「コンビニコーヒーがある今,缶コーヒー買う人って何考えてんの?」と思っていたこともある.
それでいて今,缶コーヒーを飲むのは何故なのか.
なんてことはない,忙しくてコンビニに行くのが面倒になったので自販機で済ませるようになり,しょうがなく缶コーヒーをすすっているだけだ.今でもコンビニコーヒーのほうが美味いと思っているし,何なら缶コーヒーは不味いとまで思っている.それでもなお,わざわざエレベーターに乗ってコンビニまで行くのが面倒,という理由だけで不味い缶コーヒーを飲み続けている.
ただ最近,「コンビニコーヒーなど甘えで,缶コーヒーを煽ってこそイケてる大人なのでは?」という意味不明な思考がたまに首をもたげることがある.
我ながら意味不明だとも思うのだが,コーヒーを飲み始めたきっかけが「大人ぶるため」だった自分からすれば──同様の理由で「大人のキリンレモン」も愛飲していた──,コーヒーとは大人の象徴で,忙しい大人はコンビニコーヒーなど飲む暇はないのである.よって,缶コーヒーのほうがより“コーヒー”である,という理屈だ.缶コーヒー煽る自分大人!渋い!と思いながら,不味い──やはり美味しいとは思っていない──缶コーヒーを飲み続けている.
コンビニに行くのを面倒くさがる理由を意味不明な理屈で正当化してしまった今,いつかコンビニにサボりにいけるようになっても,大人を演じるために不味い缶コーヒーを煽る羽目になってしまうのかも.