Op. Posth. 調律していないピアノ | 根暗草子

人を人として見られない,というある種のモラルのなさを実感する.社会性の喪失と言っても良いのかもしれない.
会社における仕事とはある意味ロールプレイングなんだろうと思う.◯◯社××部の誰々です,とメールで名乗るように,◯◯社××部の自分を演じている自分は人当たりが良い方ではない.それでも学生時分に想像していたよりは遥かにコミュニケーションを求められるソフトウェアエンジニアを7年も続けられるのは,ひとえにこのロールプレイによるものだろうと思う.
演じるロールを与えられれば,意外となんでもできるのだ.かつて担当しているサービスのプロモーションのためにとある地方のスーパーマーケットで開いたブースに連日立ったことすらあるのだが,そういう対人の仕事ですら,意外にも苦もなくやれるのである.そう,仕事ならね.
一方,である.
仕事以外の自分となると,最早演じるロールがない.そこには空っぽの自分があるだけである.
何か問い合わせのメールを送る時,冒頭の名乗りでいつも迷うのだ.◯◯社××部でない自分は,果たしてなんと名乗ればよいのだろうか,と.年末ジャンボ宝くじを当てたら冬休み明けに即仕事を辞めると嘯きながら,そしてもし当たったら本当に辞めるつもりなのだが,それでも仕事を差っ引いた自分に何が残るんだろうか?
ロールがないと何もできない自分は,演じるロールを失って,それ故に現実世界の繋がりを失って,インターネットに頼っている.インターネットの人間関係が現実のそれに劣るとはこれっぽっちも思っていない.インターネットに何度助けられたか.そこに対する引け目はない.
ただ,インターネットの人間関係に手触り感がないというのは事実で,そこで対面する相手は確かに人間なはずなのに,その実感が失われていく.自分以外がどんどんNPCのようになっていく.もっというと自分すらNPCなんじゃなかろうか?ロールを持たない自分は勇者御一行というわけにはいかず,村人Aになるしかない.
いかにも日本人的で,ということになるかもしれないが,自分は神がどこかで自分のことを見ているとは思わない.そういう規範意識の外にある.だから自分を律するものがあるとしたら,それは周りの目と法律ということになるのだろう.しかし周りにいるのがNPCなら,それは自分を律する存在足りえるのだろうか?
結果,法律に触れなければそれで良い,というモラルのない小賢しく悲しきモンスターが生まれる.言うまでもなく自分のことである.
周りの人というやつは,言うなればピアノの調律師のような存在なんだな,と思う.調律しないピアノは,依拠する基準を失って,いつしか音が外れ,狂っていく.数年調律していないピアノを弾いてみると,そのあまりの狂いっぷりに驚き,そして壊れた音で酔いそうになる.
自分を律する基準を失って,人は狂っていく.別に孤独な人が狂っていくと,孤独を言い訳にしたい訳ではない.孤独でも狂わない人はいる.でもそれは孤独でも自分を律することのできる確かな価値観とか,そういうものがあるからだろう.果たして自分にそれがあるか.多分ない.価値観とか,信念とか,そういうものがない.だから少しずつ音が狂っていっている,そういう感覚がある.
狂って壊れていくなかで辛うじて保っている正気で,こんなことを考えている.
願わくば,遠い未来にもこの考えを理解できるほどの微かな理性が残らんことを.