#33 条件反射 | 根暗草子

荻窪に住み始めて7年目に入った.6年間同じアパートに住み,同じサンダルを引っ掛けて同じ道を通って買い物へ行き,同じスーパーで惣菜を買い続けている.我ながら,あまりの変わらなさに驚いている.荻窪生活1年目の日記と今年の日記があったとしても,その文章からどちらが何年目かを見破るのはあまりにも困難だと思う.
そんな7年目の荻窪生活で変わったものがあるとしたら,「どこで散髪をするか」だ.
髪の毛というやつは,どうしてこうも無駄に伸びてしまうのか.1ヶ月半くらいすると邪魔だな,と感じ始める.もう少し空気を読んで適切なスピードで伸びてくれるとありがたいのだが.3ヶ月に2回散髪に行くとして,1年に8回という微妙な頻度で髪を切る必要がある.これは実に微妙な回数で,「日常的に」行くと言うにはやや疎らで,「たまに」行くと言うにはあまりにも密だ.
この微妙な頻度で行う「散髪」という行為は,結果として「どこで髪を切るか」に重大な問題意識を投げかける.「たまに」しか行かないなら,正直あまりこだわりはない.1年に1回くらいなら.多少気に食わないところがあってもどうでも良いと思える.ただし1年に8回はそうやって割り切れるほどの頻度ではない.反対に「日常的に」行くなら試行回数で殴ることができる.つまり,トライアンドエラーで気に入るところを見つければ良い.ただし1年に8回ではそう試行回数を増やせるわけでもない.
と言っても,そんなにこだわりがあるわけではない.散髪におけるオーダーは「前回と同じくらいに短くしてください」しかない.髪を切った後に「こんな感じですが如何ですか」と聞かれたときも必ず「ありがとうございます!」と言うと決めており,どんな仕上がりかは見てすらいない.つまり初回を乗り切れば,後は何とでもなる.それより重大な問題は「散髪中に話しかけてこないこと」である.
出た,いつもの根暗だ.と言いたいところだがこれに関しては必ずしもそれだけが原因というわけではない.それも原因ではあるのだが.ただそれ以上に「散髪中の自分,だいたい異常に眠い問題」がある.いや,「眠い問題」どころの騒ぎではない.半分寝ている.
この「半分寝る」というのは自分の特技で,自分としては寝ている.寝ているのだが,外からの呼びかけには何故かノータイムで反応できる.つまり,逆に言うと話しかけられると起きてしまう.よって,散髪中に話しかけられるのは困る.眠れないからだ.
ということで散髪の流れは概ね「前回と同じで」と言って髪を洗ってもらい――ここでも当然寝ている――,席に戻りまた寝て,仕上がりの確認のために鏡を確認させられる時に起き,毛を流し――ここまた寝ている――,ドライヤーで乾かす――ここではさすがに音がうるさいので眠れない――.以上で終了である.髪を切りに行っているのか仮眠しに行っているのかわからない.
で,そもそも,だ.何故髪を切りに行くときだけ眠くなるのか.最初は酸素濃度が低いのではないかと疑った.でも別の美容室でも眠くなったので,どうやらそうではないらしい.
振り返って「眠くなる」タイミングはどこか.来店するとき,まだ眠くない.着席,まだ目は冴えている.「前回と同じで」と言う,ここも眠くない.じゃあ髪洗いますね,でメガネを外す.ここで眠い.
メガネだ.メガネがトリガーだ.
「眼鏡は顔の一部」とはよく言ったもので,自分は10歳くらいの頃から20年くらいメガネを掛け続けている.メガネを外すのは,風呂に入る時を除けば寝る時しかない.「メガネを外したら寝る」というのが身体に刷り込まれている.美容室でメガネを外したら,条件反射で身体が寝る時間だと錯覚している.
これは大きな発見で,通勤中に電車で居眠りしたい時に,眠いはずが何故か眠れないのは何故か.それはメガネを掛けているからなんじゃないか?今度から通勤する時はメガネケースを持っていくことにしよう.メガネを外して居眠りできるように.
こうして1年に8回くらい,髪を切られながらうたた寝し続けている.これは決して美容師と雑談するのが嫌だからではなく,メガネを外した条件反射の結果なのである.例えばメガネを使うのをやめてコンタクトレンズを使うようになり,この条件反射がなくなったんだとしたら,その時は楽しく雑談に興じるようにな……らないだろうね.多分寝たフリするようになると思う.