#10 あとは親を殺す覚悟とか | 根暗草子
上京してからというものの,実家は遠くなりにけり.
大学入学で横浜に引っ越してからはしばらく,15年の鬱憤の心理的屈折から実家はかなり遠かった.年に数回実家に帰る同期たちを尻目に,辛うじて4年で2回だけ帰省している.
その2回目の帰省で,老いた実家の犬に会うべく予定したにも関わらず,直前に先立たれるという出来事があった.それを契機として「親が死んだら帰省することもないので,生きているうちに可能な限り顔を出す」という気持ちに切り替え,心理的な遠さはなくなったものの,物理的距離とそれに伴う帰省コストの高さは貧乏学生には如何ともし難く,「気持ち頻度が上がった」くらいで卒業を迎える.
就職してからは「金はあるからな」状態なのだが,物理的距離とそれに伴う所要時間ばかりは金では解決できなかった.物理的に往路1日,復路1日はかかる距離なので,まともに帰省するなら4連休以上はないと,なかなかつらいものがある.
そこに来て,コロナ禍である.
東京の自宅と田舎の実家,「帰省した結果コロナをうつされる」リスクは無視できるほどに小さいが,「帰省した結果コロナをうつす」リスクは,まあかなり大きいと思った.
同居する家族もいない今,東京で守るべき相手もいないわけで,自分が感染するだけならある程度リスクは取ってもいいと思っている.一方で,そういう意味で唯一の弱みになるのが実家で,東京で何万人感染しようが,死者が出ようが,正直どうでもいい思いはあるのだが,自分がキャリアとなって実家を壊滅させてしまうのは,さすがに心苦しい.
自分は根っからの悲観主義者なので,自分の行動の帰結の樹形が脳内で広がるとき,考えうる最悪の選択肢ばかりが浮かんでくる.当然,コロナ禍の帰省では「自分が無症状だが実は陽性で,気づかず帰省したら親にうつしてしまい,高齢故に重症化し,死ぬ」という未来が見える.
「親が生きている間に可能な限り帰省」したがために親にコロナをうつすのは,やや本末転倒感がある.
コロナ禍の帰省で必要なのは,4連休以上のお休みと,あとは親を殺す覚悟とか.そういう事情で再び実家は遠くなった.
という気持ちで2年弱たったのだが,一向にコロナが完全収束する気配がないので,悲観主義者的にはもう一つの未来が見えてきた.それが「一生コロナが収まらず,二度と帰省できないまま両親ともに死ぬ」という未来だ.
その未来が浮かび始めて以来,「自分がコロナを運んで親を殺すリスク」と「二度と帰省しないまま親が死ぬリスク」とを天秤にかけはじめた.で,東京のコロナの感染状況が小康状態を迎えたタイミングで,後者のリスクのほうが高い気が──別に定量的に考えているわけではなく,ただのお気持ちなのだが──してきた.
よって,親を殺す覚悟で帰省を敢行した.
悲観主義の極みみたいな息子に対して,実家の両親は驚くほどに楽観的で ──親なりの配慮なのかもしれないが── ,「羽田でPCRをわざわざ受けた話」とか,「機内で癇癪持ち系のキッズが騒いでいたので,そこら中に飛沫が飛んでいる気がして,機内サービスのコーヒーが飲めなくなった話」を気にしすぎだと大笑いしていた.
こっちは親を殺す未来まで見て帰省しているのだが,どうにも先方は殺される未来は見えていないらしい.親子でこうも違うのか.
帰省してから1ヶ月が経った.あれから自分も,実家サイドも,少なくとも症状が出ることはなくここまできた.東京に戻ってきてから1週間は気が気じゃなかったのだが,さすがにここまで来たら勝利宣言してもいいだろう.
覚悟を決めていたとは言え,悲観主義者的にはこの情勢での帰省はさすがにつらいものがあるので,やっぱりしばらく帰省することはないのかもしれない.
嗚呼,実家は遠くなりにけり.