Bluelight Sonata

2021-04-03

#05 新しい朝なんて来なければいいのに | 根暗草子

Just before the dawn, Along the Zenpukuji river, Suginami, Tokyo.

朝早く家の近くを歩いていると,小学生くらいの子どもが小走りに駆け抜けていった.季節は春.ラジオ体操をする季節でもないのに,なんでこんな時間から子どもがいるんだろう,と思った.

子どもはだいたい,朝早くにひとりで出歩かない.自分の限定された経験ベースの話でしかないけど,ある程度そう確信を持っている.だいたい朝6時とか,そういう時間に街を歩くようになるのは意味もなく朝マックを食い漁る悪習を身に着けてからなのだ.だから,ひとりで朝マックを買いに行くことがない子どもたちは朝の街を歩かない.そう,夏休みのラジオ体操以外では.

今では地元でもなくなったらしいとかいう噂を聞いたような ──しかも子どもが減ったからとかいう理由で── 気がしなくもない夏休みのラジオ体操だが,20年弱前は当然のようにやっていた.自分は小学6年の夏を除いて大体神奈川に長いこと遊びに出ていたのでほとんど行ったことはないけれど,6年生は分担でラジカセを公園に持っていく当番があったので,6年生のときだけは地元の公園でラジオ体操をしていた.今思うと,なんであんな仕事を子どもにやらせてたんだ?呼んでもないのに毎日来ていた年寄りあたりにやらせておけばよかったのに.一般的に,子どもの時間のほうが貴重なのだから.


閑話休題.謎に朝の街を歩く子どもを見て,ラジオ体操が始まる前「新しい朝が来た」で歌い出す曲のことを思い出した.

この歌,歌い出しが「新しい朝が来た」で,「希望の朝だ」と続く.全くもって笑止千万だ.希望の朝などあるわけないだろ,そう言いたい.新しい朝の先に横たわっているのは,今後数十年続いてしまうしみったれた人生しかないのだ.

ググったらこの歌,「ラジオ体操の歌」と言い,1950年代から使われている息の長い歌らしい.背景を知ると腑に落ちるとこがあって,この曲はおそらく1950年代から20年に渡って続く高度経済成長の世相を反映している.想像の範疇でしかないが,あの頃の朝は確かに希望の朝だったんだろう.寝て起きたら経済成長している時代だ.

翻って現代にこの歌を歌うのは欺瞞でしかない.「この先不安なことなんて何もないよ!」みたいなナイーブさは現実から目を背けているだけだ.もう今はあの頃とは違うだろう,と.寝て起きたら多分GDPは下がってるし,出生率はまた下がって,高齢化率は高まってるんだろう.で,これが「希望の朝」なんでしたっけ.これが新しい朝なんだって言うなら,新しい朝なんて来なければいいのに.


ラジオ体操の歌の輝きに文句を呈したついでに言っておくと,この曲に限らず「この世の中に汚れなんてありません」みたいな顔をした明るい曲がだいたい嫌いだ.代表例が「パプリカ」.子どもが──そういう演出なんだろうけど──この先の未来は明るいですみたいな顔をして明るく歌い上げるのがもう,勘弁いただきたい.君たち老いたとき,多分年金とか破綻してるよ,とか思ってしまう.

あと西友で流れてるあの曲も同じく嫌いだ.「♪ウォオーオーオオオオオー♪おいしいを毎日にー」とか底抜けに明るく歌うやつだ.何がそんなに面白いのか.残業帰りに買い物していてこの歌が流れると,何なら怒りすら覚える.おいしいを毎日にもクソも,毎日同じような萎びた惣菜食ってるんだっつーの.

街には明るい曲が溢れすぎていて,ポジティブがすぎてどうにも生きにくい.塩をかけられたときのナメクジって多分こんな気持ちなんだと思う.

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