日常の果て
然るに静岡県熱海市とは不思議な街である.
まず「静岡県なんだ」という感じだ.神奈川っぽくない?熱海って.実際,地理的には"こっち側"なのだ.分水嶺たる丹那山地は熱海市の西側に聳えている.そして経済的にも"こっち側"との結びつきがより強いらしい.
何もかも"こっち側"のほうが収まりがよく思えるのは,だいたい東海道線のせいだろう.東京駅で腐るほど「熱海行き」を見かけるせいで「熱海はこっち側だ」と思うのだ.
新幹線であれば気づかないうちに通過している熱海だが,鈍行で旅をしているときには,より区切りとしての熱海を強く感じる.東京から西に行けば熱海を過ぎると「さあ旅行だ」って感じがするし,西から戻って来るときに熱海までたどり着くと「帰ってきたな」と思う,そういう場所だ.
つまり「日常の果て」なのである.
故に,逆説的にだが,横浜・東京に10年住んでも熱海に行ったことはなかった.旅行に行くには近く,散歩に行くには遠い.そういう街だ.「果て」は"≦"ではなく"<"なのだ.ギリギリ日常において手の届く範囲から外れている.
例えるなら,そう.いつも買うパンツよりもワンサイズ大きいパンツのようなものだ.何言ってんだか,という感じだが,人は普通いつも買うパンツよりワンサイズ大きいパンツを買わないようにできている.正に「日常の果て」だ.
何故そんなことを言っているかというと,先日間違ってワンサイズ大きいパンツを買ったから言っているのだ.3枚買えば安くなるという仕組みだったので,ノールックでいつものサイズの棚から3枚鷲掴みにして買ったら,どこかの不届き者がワンサイズ大きいパンツを紛れ込ませていやがった.
レジで「1つだけサイズ違いますがよろしいですか」と聞かれたので,そこで引き返すことはできたのだが,それは恥ずかしいので「1つだけサイズ違いますがよろしいです」ということにしてお買い上げしてきた.手元にはワンサイズ大きいパンツが残った.
普通はしない「いつも買うパンツよりワンサイズ大きいパンツを買う」という稀有な体験をして初めてわかったことがあるのだが,ワンサイズ違うだけで結構な違いが生まれるらしい.何が違うかと言うと,洗濯するとワンサイズ大きいパンツだけ裏返るのだ.知ってるか,パンツってワンサイズ大きいと引っくり返るんだぜ.サイズが一つ違うだけでこんなにも世界が変わる.普通はワンサイズ大きいパンツが引っくり返ることを,私たちは知らない.これもまた「日常の果て」だ.
ということで,熱海という街もそういう不思議さを感じる街なのだ.いつも買うパンツよりもワンサイズ大きいパンツのように.