Bluelight Sonata

Toronto Pearson International Airport, Ontario, Canada.

「ポーン」という音とともにベルト着用サインが消えて,「カチャリ」「カチャリ」と金具を外す音がそこら中から聞こえる.スマホを取り出して機内モードを解除して,現地のSIMを有効化すると,12時間の間に溜まった通知が一斉に流れ込んで来る.まだドアは開かないのに荷物を下ろしてソワソワしている他の乗客を尻目に,ただ,ぼんやりと座っている.どうせ降機まで待たされるんだもの.特に急く理由などない.

ようやく流れ出した降機の人の波を見てゆっくりと立ち上がり,大きく伸びをしてから心配症で膨れ上がったバックパックを棚から下ろして,異国の地へと歩いていく.12時間を過ごした機体から一歩踏み出してボーディングブリッジを踏みしめて,「ああ……疲れた……」と呟こうとするのだが,身体と頭は意外なほどに疲れていない.むしろ,いつもより清々しい気さえしてくる.


2年半前,7年ぶり2度目の海外旅行でメキシコ・シティに降り立った時は,完全に疲労困憊だった.その3ヶ月後,トルコ・イスタンブールに着いたときも,やはりくたびれていた.2ヶ月後,イギリス・ロンドンに降り立ったときも,やはり疲れ切っていた.しかしその1年後,ポルトガル・リスボンに降り立ったあたりから,長時間フライトでむしろ身体が楽になっている自分がいる.果たしてその1年の間に何があったのか?

「機内でやるべきこと」と言えば何か.これは当時の自分は圧倒的に「映画鑑賞」だと思っていた.フライトと言えば映画,映画といえば映画館よりフライトである.機内エンタメや,タブレットにありったけの映画をかき集めた映画を鑑賞する.それこそが海外旅行というやつだろう.そう思った自分は,普段見ようと思いつつも見れない映画をダウンロードしては,機内で食い入るように鑑賞していた.それが海外旅行だった.

結果,現地の時計に身体が合わずに時差ボケになり,暗い機内で映画を見続けた眼はショボショボになっている.疲労困憊で機内から這い出す愚か者の誕生である.


最近,機内で映画を見るのをやめた.理由は何ということはなくて,見たい映画が見つからなくなってきたからだ.それはそれで悲しい.旅に出る前に一応アマゾンプライムを眺めるのだ.何かダウンロードしておこうかな,って.それでも見たい映画が見つからない.困ったときに何度も観ていたハリー・ポッターとファンタビも,さすがに飽きてきた.

では12時間のフライト中,何をしているのか?と言うと,ただ,ぼんやりと座っている.「何もしない」をしている.

離陸して,少しして機内食が出て,歯を磨いて寝て,数時間して目が覚めて.それからは本当にぼんやりと座って,何もしていない.インターネットもなかったり,接続できても低速のテキストメッセージくらい.接続状況も良くないのでスマホの通知も届くような,届かないような.現代では珍しい,インターネットすらまともに使えない空間.これがネットが繋がってしまうと,Twitterのフィードをずっとスクロールしたりしてしまうのだろう.

ネットに繋がらないからこそ「何もしない」をできる,この空間と時間は非常に貴重と言える.12時間のデトックスで毒が抜けて,いつもよりむしろさっぱりとして異国の地へ辿り着く.

最近,高速インターネットの無料提供を始める航空会社が増えてきていて,こうして機内でただぼんやりと座る息抜きができるのも,今のうちかもしれない.