東京RTA
最近,自分のあまりの効率厨っぷりに自分ですら困惑することが増えてきた.
その極みがスーパーで買い物をしているときで,狭いパン売り場で呆けたように立ち尽くしている人種に一抹の苛立ちを感じることがある.ロジカルに考えれば,一歩ずれたところでフリーズしたほうがみんな幸せだよね,というのは正しい気がする一方で,たかがそんなことに喜怒哀楽が揺らぐ自分が情けなくもなる.
気づけば今年,一人暮らしを始めて8年目に入った.最初の6年は大学,後の2年は会社を除けばおおよそ自分の生活に他人が関わってこない生活が8年続いたとも言える.大学と会社による制約を除けば,起きたいときに起き,食べたいものを食べ,行きたいところに行った.手の届く範囲では,人生が自分で完結していたと言っても過言ではない.
そういう人生は,箱庭ゲームに近いと言えるのかもしれない.人生はクエストの連続だ.朝起きれば視界の下には「始業時間までに会社にいけ」と表示されて,脳内の地図の会社のところにピンが刺さっていて.仕事が終われば「スーパーに寄って晩飯を買え」だし,それが終われば「家に帰れ」だ.朝の電車で隣にいる人も,スーパーの他の客も店員も,自分の人生にとってはNPCくらいの価値しかない.
同じクエストを毎日繰り返す.毎日同じような時間帯の電車に乗って,毎日同じスーパーで買い物して,毎日同じ家に帰る.そこに過程の楽しみはない.唯一「クエストを早く終わらせる」以外に動機がない.人生はRTAだ.
NPCはノイズだ.スーパーで買う物の売り場を最短距離で移動し,最速で家まで帰るクエスト中に,そのノイズはあまりにも影響が大きい.動線上で重いマクロを動かしたときのExcelの如くフリーズするNPCに,人生唯一の動機を木っ端微塵にされている.
東京という箱庭には,あまりにNPCが多い.東京というゲームはクソゲーなのかもしれない.それでも当面はこの東京というクソゲーのRTAに挑戦し続ける選択を自ら下して,本能的な義憤と理性で戦いながら苦しみ続けることになるんだろう.まったく難儀な生き物だ.