Bluelight Sonata

Koiwa Iris Garden, Tokyo.

その昔に東京に住んでいた頃,荒川の近くに住んでいた.家の近くの河川敷の記憶はないのだが,その頃同じく荒川の近くに住んでいた親戚の家に正月に遊びに行き,河川敷で凧揚げをしていたことだけは覚えている.「覚えている」と言っても,自分の記憶として覚えているというよりは,それを写したビデオを見たことを覚えている,と言ったほうが正確なのだが.

北海道に引っ越して,やはり川の近くに住んでいた.小学校に行くにも中学校に行くにも高校に行くにも川を渡った.北海道に住んでいた15年で何回あの川を渡ったのか,とんでもない回数になっているんだろうなと,今になって思う.


北海道にいた頃は犬を飼っていた.河川敷は犬の散歩コースだったので,自分もまた河川敷を歩いた.田舎というのは妙に金回りが良いところがあって,謎に小綺麗な四阿があった.ちょっとしたパークゴルフのコースもあって,年寄りが春から秋まで飽きもせずパークゴルフに勤しんでいた.パークゴルフ場の横には野球のグラウンドもあったのだが,野球をしている人はいなかった.年寄りがいて子どもがいない田舎の限界である.

河川敷は季節の移り変わりを感じられる場でもあった.夏になりたんぽぽが咲き乱れ,秋が来て一気に寒くなりススキが枯れ始め,そして冬が来る.息ができなくなるほど冷え込んだ日は,空気が信じられないほど澄んでいて,河川敷に聳える針葉樹がこれ以上ないほど綺麗に見える.そして河川敷に積もった雪が溶けて春が来る.

これが当然に1年のサイクルとともにあった.


横浜に引っ越して家の一番近くにある川は,相鉄線に沿って流れる帷子川だった.大したことのない台風がちょっとした雨を降らせると,帷子川は増水して相鉄線が止まる.台風なのに「これくらいなら大丈夫でしょ」と油断してバイトとかしていると帰宅を困難にする川だ.横浜駅に出かける時はいつも相鉄線を使ったから,この川もやはり6年間で数え切れない回数を渡ったことになる.

そして荻窪.神田川支流の善福寺川の近くに住んでいる.こいつも台風の時に大概増水するのだが,さすが首都東京だけあって治水がしっかりしていて,調整池が充実しているからか氾濫警戒水位になるかならないかのところで水が引いていく.荻窪に住んで8年目.この川も数え切れないほど渡って,渡り続けている.


実家に住んでいた頃の川の思い出に比べて,帷子川と善福寺川の思い出はあまりに薄い.「大雨降ったら増水してたな」という当たり前極まりない思い出しかない.パークゴルフ場とか四阿とか,あるいは雪原に聳える針葉樹とか,そういう記憶がない.

それは多分,河川敷がないからで.帷子川も善福寺川も,住宅地を細々と流れる川で,川の両側にちょっとした歩道があるような,そんな川.善福寺川に至っては,人同士がすれ違うのも難しいほどの幅しかない歩道なのだ.

河川敷っていうのは,多分東京に残された最後の余白だと思う.東京には「何も無い」場所がない.ちょっとしたスペースはすぐに再開発されて「何か」になってしまう.一方でだだっ広い河川敷は「何も無い」スペースが広がっている.それが良い.ちょっとした花畑とか,特に目的も指定されてないけど何かの遊びに使えそうな草原とか,何もできないけどススキがたくさん生えているところとか.あとは,そんな「何も無い」場所だからこそできる花火大会だとか.

荻窪は何でもあって便利な街なのだが,河川敷のあるような川がなくて,「何も無い」場所だけがない.それが荻窪の惜しいところだなって思う.いつかまた引っ越す日が来たら,その時は意味もなく散歩して意味もなく休憩できるような河川敷が近くにある,そんな街に住みたい.