脚はまだロンドンにいる | The Express Train Heads North.
“郷に入っては郷に従え”という言葉がある.国内旅行の時は対して慣習の差もないので気にしないが,海外旅行の時は結構気になる.典型的にはチップ.
日本人は概ねチップ文化に慣れていないので,だいたい苦手意識を持っていると思っていて,例に漏れず自分も苦手意識を持っている.アレの何が嫌って,お金を払うのが嫌なんじゃなくて,払うべきラインと払わなくて良いラインがわからないってところにあるんだよね.国によって場所によってサービスのレベルによって,チップの要否の判断が分かれる.判断軸が多次元すぎて,2次元に生きる自分には認識できないユークリッド空間に不可知の仕切りが存在する恐ろしさよ.
毎度毎度,スマホで「(国名) チップ」とかググっていちいち内容を確認している.だいたいこの手のサイトもクソで,「絶対必要ではありませんが,気持ちとして渡すのも良いでしょう!いかがでしたか?」みたいなブログはすべて滅びれば良いと思うし,書いているやつはチップの払いすぎで破産すればいいと思う.チップのお作法を知らない我々が求めているのは一刀両断の答えであって,倫理感ではないのだ.
答えを,答えをください.
ググらないとチップ要否が分からないので,突然発生したシチュエーションになかなか対応できない.ホテルでチェックインしたら部屋まで案内してくれた時とか.こういう時ってチップいるんだっけ?あでも荷物は自分で運んでるぞ?チップが必要なロジックに入るif文は「重い荷物を運んでもらった時」だったっけ?あれ?どうだったっけな?
……とアワアワしているうちに部屋に到着してしまいスタッフは颯爽といなくなり,そこにはチップを払えずじまいの日本人だけが佇んでいる.
だいたいいつもこんな感じなので,一向に対面でスマートにチップを渡せないのだ.こっちは郷に従いたいのだが.従う意欲はあるので,ルールを.ルールを教えてくれ.
そんな郷に従えずじまいの私にも簡単に従える郷があった.それは「イギリス人の歩行者,だいたい信号無視する」である.
これは偏見だが,歩行者が信号を守らないのはインドとかベトナムみたいな,守っていたら一生道路を渡れなさそうなくらい交通量がある国だけだと思っていた.でもそんなことはなかった.日本のノリで信号が変わるまでキチンと待っていたら,周りのイギリス人はガンガン赤信号を渡る.最初は朝だし,みんな急いでるんだろうなと思った.狭いイギリス——面積は日本の2/3くらいしかないらしいな.意外と小さい———そんなに急いでどこへ行く……と思っていたのだが,昼も夜も無視しているし,ロンドンでもヨークでもエディンバラでも無視していた.
ははーん,さてはこれは“郷”だな?ということで私も信号を無視することにした.紅茶とフル・ブレックファストと,赤信号無視.それがブリティッシュスタイル.青信号でも赤信号でも左を見て右を見て,もう1回左を見て渡れそうだったら渡る.こうなってくるともはや歩行者用の信号って要らないんじゃないかという気もする.
そうして9日を過ごした結果,帰国してからもめっちゃ歩行者用の信号を無視したい衝動に駆られている.典型的には,朝早めに会社に出社する時.交通量が少ない交差点を渡るのだが,非常に信号無視したい.脚はまだロンドンにいるんじゃないかってくらい,脚は「よっしゃ渡れるぞ!」という気持ちで前に進もうとする.
郷に入っては郷に従った結果,チップはスマートに払えないのにスマートに信号は無視して,ついでに帰国しても信号を無視したいモンスターが生まれている.これもだいたいチップのせいだと思う.