無限遠の少し手前
あるいは,残業に対する向き合い方の変遷.
年が明けて,理由はよくわからないけれど,ふと3年前の今頃,吐き気を催しながら就職活動を本格的に始めた頃を思い出した.
学生の頃かなり気にしていたのは残業の多寡で,信用できるのかできないのかもわからない口コミサイトにすら藁にもすがる思いでアクセスして,ここは平均残業時間が何時間だからブラック,こっちはホワイト,とか必死に調べていた.
現実が見えている人は「実際のところ残業ゼロってのは無理」とか「残業時間のほうが仕事捗るのはある」とか教えてくれたけれど,うるせえそんなわけあるか俺は意地でも残業しないぞ,と思いながら入社して,新人研修受けていた頃くらいでもまだそう思っていた.でも現実は現実だから見えてくるわけで,そして現実に打ち勝つだけの力もなくて,恐ろしいことに知らず識らずのうちに残業耐性がついてしまった.
目に見えて変わったのは平日夜の時間に対する思いで,新人研修の頃は定時に退社しても寝るまでに使える時間なんて数時間もないじゃん,何もできないじゃん,なんて思っていたけど.今となっては時間が1時間だろうが3時間だろうが何かの間違いで早上がりして5時間だろうが別にどうでもいいのだ.
結局のところ「なにかする」ことを企むのが間違いなのだ.どうせ晩飯を食べて寝るまでボケーっとして,あーこの前買った本でも読むかーなんて思って机の上に置きっぱなしにして,日付も変わるしそろそろ寝るか,みたいなことしかやらないのだ.時間があったところで.
ある意味「何もしない」をしている.せざるを得ないというべきか.少なくとも平日には最早「何かをする」ことを諦めている.ゲームもしなくなったし,アニメも見なくなったし.そうなるともう,「どうせ何もしないなら残業してても別に構わんな」という気持ちになってくるので,就活中の思いはどこへやら,少なくとも表面上はこともなげに残業をこなしている.
今のディフェンスラインは睡眠時間を削るレベルの残業にならなければOK,くらいまで下がりきっている.たちの悪いことに在宅なので割と無限に働けてしまうのは幸か不幸か.
そんな働き方をした結果としてあの頃と比べて決定的に変わったのは激務とか,過労死ラインとかいう概念への向き合い方で.
あの頃「過労死ライン」と聞いても,どんなとんでもない働き方をしたら月80時間なんて残業時間になるんだろう,そうそうそんな時間にはならないじゃん,と思っていた.遥か彼方の悲しみの果ての地獄みたいなイメージ.
でも蓋を開けてみると実際それは遥か彼方というほど遠くにはなくて,会いに行こうと思えば“会いに行ける地獄”みたいなレベル感.一方で手を伸ばせば簡単に手が届くようなところにもなくて,過労死ラインは無限遠の少し手前にあるんだな,と最近思っている.
「睡眠時間を削るレベルじゃなければOK」のディフェンスラインを張れているうちはまだ遠い,まだ遠いと思って安心している.ただ,無限遠との距離はあくまでも有限で,フォーカスリングを回したらあっという間に手元にピントが合うように,ふっと手が届く距離になってしまうんじゃないか,というのは恐ろしくもある.