ああ、ナポリを見た今なら死んでもいいわ。 | Interlude

モディカとラグーザの滞在を終えた自分は,来た道を戻ってシチリア島東部の都市,カターニアへ戻る.カターニア行きのバスに乗り込んだ瞬間,モディカで買おうと思っていたお土産――その名の通りモディカチョコレートというやつが有名なのだ――を買い忘れたことに気づいた.ああ,なんてこった.と思ったが後の祭りである.またバスに数時間揺られ,モディカチョコから遠ざかっていく.
マルタ,シラクーザ,ノート,ラグーザ,そしてモディカ.この辺りの移動は交通期間の都合もあって南へ北へ行ったり来たりを繰り返していたが,ここからはひたすら北へ向かう旅になる.カターニアで1泊,ナポリに飛んで2泊,ローマで1泊,ヴェネツィアで2泊,イタリアを縦断しながら移動していく.
旅の終着点に向けてひたすら歩いていく,そんな気分.
イタリアと言えば何か.パスタ,ピザ,エスプレッソ,そしてマフィア.ヨーロッパの中でも治安は少し悪めな印象がある.ここまでイタリア国内で訪れた街は,観光都市ということもあり幸いにも治安の悪さを感じる場面は無かった.シラクーザの街は夜も安心して歩けたし,橙色の街灯に照らされたラグーザの夜の街は人気こそ無かったけれど,やはり歩いていて怖い思いをすることはなかった.
そんな夜でも安心して歩ける街からやってきた,シチリア第二の都市・カターニア.バスを降りた瞬間にバスターミナルで物乞いに絡まれて,ああこれが思い描いていたイタリアよ,とむしろ安心した.ここまで若干安心感で腑抜けた街歩きをしていたけど,気を引き締めなければ.
自分が密かに抱えている「理想の死に方」はニ種類ある.まず第一に,ファンタジー系のアニメとかゲームである,光の粒子みたいなのに分解されながら空気中にふわっと消えていくアレである.粒子に分解されながら生き残る仲間に何か遺言的メッセージを伝えて,こころなしか壮大なBGMが流れて,光の粒子が消えていったところでエンディングに入るアレである.あの死に方が考える中で一番美しい死に様だと思っている.
もう一つの理想の死に方……というか死に場所は,客死である.旅先の異国の地で死にたい.衰弱して死ぬのでも良いし,不慮の事故で腸をぶちまけて死ぬのでも良い.そして現地に埋葬してほしい.墓石には何か格好の付く一節を掘っておいてくれるとなお良い.
横浜の山手を歩くと外国人墓地があるのだが,あそこに行くたびに,飛行機もなかった当時に,西洋から遠い島国にやってきて母国の土を踏むことなく客死した外国人とは果たしてどういう気持ちがしたのだろう,と思う.翻って自分が異国の地で死ぬとしたら,その時自分は何を思うんだろうか.自分はそれを知りたい.
そういう薄っすらと漂う希死念慮があるからか,海外では毎回「薄っすら危ないこと」をしている.「薄っすら」というのは「治安があまり芳しくないかもしれないけど,夜の散歩をしてみる」くらいの薄さだ.というのも「完全に危ないこと」をして死ぬのは,美しくない.それはただのバカだ.マフィアの縄張りをほっつき歩いて死にました,というのは美しさに欠ける.それでは手の込んだ自殺だ.そうではなく,あくまで不慮の,非業の死を遂げたいのだ.
そういう意味では,「バスターミナルに"いる"だけで物乞いに話しかけられる街」というのは,異国の地で美しく死ぬためのステージとしては,“ちょうどよい”条件が整っていそう,と言える.それがカターニアである.

じゃあ派手に夜のカターニアを練り歩いてやろうか!と言いたいところだが,ここカターニアは,シチリアからナポリに向かうにあたっての中継地として一泊する街.そう,次に向かうのはナポリ.「ナポリを見てから死ね」のナポリである.ということは「ナポリを見ていない今」はまだ死ぬわけにはいかない.そういうわけでカターニアの夜は大人しくしていた.
翌朝,空港に向かうべくまだ暗い早朝のカターニアを重いスーツケースを転がしながら歩いた.経験上,海外を歩く時は夜より早朝のほうが怖い.夜はまだ夕方の残滓があって,人気が無いと言ってもまだ人はいる.明け方にはそれが無い.「人気が無い」とかではなく,人がいない.いるのは柱の陰にいるホームレスくらい.さあこれからナポリに行こうという時に万が一があってはいけない.気持ち早歩きでバス停に向かった.
バス停までいったら少しは人がいたが,周りは暗いしどこか空港ではないところに行くバスに乗り込んで,一緒にバスを待っていたはずの人は消えた.残ったのは道路のこちら側にいる私一人と,"FxxK"という若干アンチソーシャルな感じがするお店の前に座っている人だったので,ちょっとした緊張感のあるバス待ちの瞬間だった.
カターニア,少しヒリヒリ感のある良い街だったよ.そういえばホテルの横のスーパーで,買い忘れたモディカチョコレートも買えた.その後ナポリ,ローマ,ヴェネツィアではモディカチョコレートを見かけることはなかったので,ここで買えて本当に良かった.いい街だったよ,本当に.
さあナポリだ.空港から乗り込んだエアポートバスは,けたたましいクラクションに追い立てられるようにして発車した.ああ,これがナポリだ.カターニアより警戒感を一段上げたほうが良いだろうな,って雰囲気.それでも良い.ナポリを見た今なら死ねる.
ナポリでは治安が悪いという駅前の広場に面するホテルを予約した.2日後,鉄道でナポリ中央駅――ここもまあまあ治安が悪いらしい――を発つので,駅近くのほうが便利だろうという判断だ.バスを降りて,キャリーケースを転がして広場を横切ると,マシンガンみたいなのを抱えた警官が居た.ピストルとかじゃない,ちゃんとマシンガンだった.よく見ればパトカーではなく装甲車みたいなやつが停まってるし.ビビって,何も悪いことをしていないのに意味もなく会釈をしてしまったのだが,会釈を返してくれた.
到着は土曜の夕方前.マルタと同じく日曜日に洗濯をするつもりだったのだが,まだ少し時間があったので土曜のうちに洗濯を終えてしまうことにした.駅前の広場の南側――ここもやはり治安が悪いらしい――に狙っていたコインランドリーがあったのだが,そこは全部の洗濯機が使われていて,待っている客までいた.そこで,プランBで出来れば使いたくなかった駅前の広場の北側のコインランドリーに向かった.この北側の一帯は本当に治安が悪いらしい.その事前情報を割り引いても,雰囲気は少し異様だった.
そんな怪しいエリアを,一週間分の洗濯物を抱えてノコノコと歩いていく小柄なアジア人がいた.つまり私のことである.「死に方ポイント」としては,異国の地で洗濯物を抱えて死ぬというのは,非業の死感があって比較的ポイントが高いと言える.ナポリを見た今,死に様としてはまさにベストな瞬間と言えるんじゃないか?と思った.
まあ実際のところ,先進国イタリアにおいて,多少治安が悪いからと言っていきなり襲われて命を落とすようなことはまずあまり無い.実際,若干「アジア人歩いてんな」って感じの視線は感じつつも,腸をぶちまけることもなく洗濯を終えて,ホテルに戻れてしまった.「ナポリを見てから死ね」を実践したいのだが,意外と簡単にはいかないものだな.
洗濯物を抱えて死ぬこともなく迎えた日曜日.ホテルの朝食でカプチーノを飲んだ.イタリアではカプチーノは朝に飲むものらしい.せっかくイタリアに来たならエスプレッソも行きたいところだが,最近コーヒーをストレートで飲むと胃もたれして吐きそうになるのでセーブしておく.大学生の頃はサイゼのドリンクバーでカプチーノを飲み続けてもびくともしなかった胃は,完全にボロが出てきている.
ナポリは南端のサンタ・ルチア地区が海辺のザ・観光地で治安が良く,他はあまり……という感じらしい.スペイン地区なるところもそれなりに危ない……という前情報だった.なので,朝飯を食べたあとはスペイン地区に行った.ナポリを見た今,怖いものなど何も無い.
ただそのスペイン地区も,聞いていたほど危ない感じはしなかった.もちろん夜中に暗い路地に入ったらそれはどうなるかわからないけど……日中に散策している分には大丈夫そうだな,というレベルだった.もちろん警戒はしていたけれど.
一方で散策した結果「ちょっとヤバそうだな」と感じたのはやはり駅周辺.危ないと噂の駅前広場北側の一帯もそうだったが,駅の正面,スパッカ・ナポリに向かう時に通る一帯の雰囲気は,ちょっと異様だった.昼間でも路地に入るのは勇気いるかも,という雰囲気.と言いつつ,夕方にピザを買いに行ったのだが.
というわけで「ナポリを見てから死ね」ではなく「ナポリを見たら死ぬ」などと言われることもある超危険都市のイメージあるナポリは,よほど危ないことをせず,そして適切に警戒していれば危ない目に遭うこともない街だった.そして「ナポリを見てから死ね」と言うに相応しい,美しい街だった.
ナポリで唯一危なかったのは,ホテルの朝食で飲んだカプチーノのせいか,午前中の散策中にカフェイン効果で尿意を催し,駅でトイレを見つけたのに「まあホテルまで耐えられるっしょ」とスルーした結果,メトロに乗った瞬間に急に尿意レベルが突沸し,危うく人間としての尊厳を失いかけたことくらいだろう.
危ないものはナポリではなく,常に自分の中にある.