Bluelight Sonata

2025-11-02

詠唱

Letter from Hokkaido / camera α7CR / lens SEL24105G / location Hokkaido
Lake Miyajimanuma, Hokkaido.

実家に帰ったら,我がとんでもない田舎にもいつの間にかスターバックスが出店していた.人間より圧倒的にヒグマが多いんじゃないかってくらいの田舎なのだが,一体どういうターゲティングで出店しているのか,疑問でならない.ヒグマはフラペチーノを好むのか.

初めてスタバに行ったのはいつだったか.今でこそスタバのある田舎だが,自分が住んでいた頃にはスターバックスなんてものは無かった.「スタバが無い」どころかいわゆるチェーンのカフェというものが存在しなかった.ドトールも無い.そういう場所で育った.

そういうわけで,自分にとってスタバとはインターネットミームだった.つまり,スタバとは注文する時にニンニクアブラカラメみたいな呪文を唱えることでようやくコーヒーを手に入れることができ,Macbookを広げてカタカタするための机がある.Macbookを持っていないやつは立ったままコーヒーを飲まねばならないらしい.そしてAndroidユーザは出禁である.

あとは現実世界でスタバを耳にする時と言えば,自分は経営学部に通っていたのだが,1年生の「経営学総論」的な授業で意識高い系学生がケースとして出すのは大体「オリエンタルランド」と「スターバックス」だ.だいたいまず「オリエンタルランドさんは~」と薄っぺらい発言をする奴が出てきて,それに次ぐのが「スターバックス」だ.多くの場合,オリエンタルランドはさん付けにも関わらずスターバックスは呼び捨てである.というわけで社会においては「オリエンタルランドさん」>「スターバックス」という格付けが成立しているということを,経営学総論で学んだ.これが前期の経営学総論の2単位のうちで学んだことの3割くらいを占めていると言っても過言ではないだろう.


さて,そんな斜に構えた田舎者が,インターネットミームカフェことスターバックスに初めて訪れたのは大学院に入ってからのことだったと思う.確か,同期と珍しく飲みに行き,珍しく話足りないみたいな話になり,じゃあスタバでも行こっか,となったのである.こちらはコーヒーを頼むのさえ難しい場所であると認識していたため,「そんな恐ろしいところに行けるか!」というようなことを言ったのだが,「ニンニクヤサイアブラ」などと詠唱しなくても普通のコーヒーくらいは頼めるらしい,ということをその時に初めて教えてもらった.

マジか!普通にコーヒー頼めるところだったのか,スタバって!

そんなわけで人生初スタバは22歳か23歳の頃……,横浜ビブレの2階に入っていたスターバックスだ.今でもハッキリと覚えている.あそこは外階段みたいなのがついていて,それで2階に上がるとスタバの眼の前にであるのである.そこでシンプルに「ホットコーヒー1つ」と頼めばコーヒーが出てくるのである……!と言いたいところだが,「サイズはどうなさいますか?」と聞かれて詰んだ.こっちからすると「トール」とかいうのも謎概念である.

そんなこんなでスタバでコーヒーを頼めるようになったのだが,それでも以降あまりスターバックスに行くことはその後しばらくなかった.こんなことを言うと「気取ってんじゃないよ」と言われてしまうかもしれないが,シンプルにコーヒーの味が好みでは無かった.後に自分は「カフェインさえ入ってれば別になんでも良い」と言うスタイルに変わっていったのだが,当時はまだ,分かりもしないコーヒーの味にこだわりを持っていた.こだわりと言っても,酸味だの何だのがわかるはずもないので,「おいしい」か「おいしくない」かである.当時の自分にとっては,スタバコーヒーは後者であった.


再びスタバに行くようになるまでは数年空いて,就職し社会人になってからのことになる.その間はカフェに行くときはだいたいドトールに行っていたのだが,ある時,誕生日に後輩がLINEギフトでスタバギフトカードなるものをプレゼントしてくれた.よくできた後輩だ.

ただ後輩よすまぬ,俺はスタバのコーヒーが嫌いなのである……と思いつつも,せっかく貰ったので使いに行きますかね,と数年ぶりにスタバに訪れた.せっかくの誕生日プレゼント,口に合わないと分かっているコーヒーではなく,何か別のものを頼もうと思った.季節は冬で,とにかく寒くて,暖かくてホッとするような,甘いものを飲みたいと思った.

そこで出会ったのがキャラメルマキアートである.「マキアート」とはなんであろうか.言われてみるとよくわからないが「キャラメル」だし甘いんだろう,ということでそれを注文した.「トール」も分からない状態からのジャンプアップ.アウストラロピテクスから人類になったくらいの突然変異が,関東某所で発生した.

そしてこのキャラメルマキアート,美味い!!人類は糖分には抗えないようにできているのだと,口の周りについたミルクの泡を拭いながらそう思った.

それから数年はスタバに行ったらキャラメルマキアートを頼むおじさんと化していた.日常的に行くことはあまりないが…….よく国内旅行をしていた頃,東海道新幹線に乗る時はラチ内のスタバでよくキャラメルマキアートを買っていた.


さて,それが一変したのは2024年,イギリスを訪れてからである.ノースヨークシャー州のシティ・オブ・ヨークで宿泊していたホテルの朝食で飲んだTWININGSのイングリッシュ・ブレックファスト・ティーのあまりの美味さに衝撃を受け,そしてそれが高級紅茶というわけでもなく別にスーパーで売っている――自分は全然知らなかったが,なんなら日本のスーパーでも売っている――ということを知った自分は,これまで浴びるように飲んでいたコーヒーからの転向を決意する.

あれほどあったコーヒーへの愛は,どこへ消えたのか.終いには「紅茶と比べたらコーヒーなど泥水のようなものである」と宣う始末だ.まあ泥水という表現はギャグだが,家にはコーヒーの粉を置かなくなり,常にTWININGSのイングリッシュ・ブレックファスト・ティーのティーバッグを常備するようになった.時代は紅茶であり,自分にとって紅茶とはTWININGSのイングリッシュ・ブレックファスト・ティーである.それとともに,キャラメルマキアートなどという時代遅れの飲み物を飲むこともなくなった.時代は紅茶である.


というわけで時代は紅茶なのだが,困るのが外出時だ.ちょっとカフェで休憩しますか,と喫茶店に入っても,コーヒーの種類は豊富なれど何故か紅茶に関しては「ホットティー」のひとつに引っくるめられてしまうのである.この国の喫茶店の良くないところと言えるだろう.

そんなことをボヤいてたら,「スタバでイングリッシュ・ブレックファスト・ティー・ラテあるよ」という有力な情報を手に入れることに成功する.ああスタバよ,あなたが神だったのか.コーヒー屋の顔をしてイングリッシュ・ブレックファスト・ティーまで置いているとは!


有力な情報を手に入れた翌日,出社の予定があったので出勤時にスタバに寄ってイングリッシュ・ブレックファスト・ティー・ラテなるものを飲んでみむとす.だが,それはイングリッシュ・ブレックファスト・ティーであり,イングリッシュ・ブレックファスト・ティーではなかった.シロップの味がクドすぎる.

そこで「ニンニクヤサイアブラ」のことを思い出した.そうか,こういう時に唱えるための魔法なんだな.


スタバの詠唱呪文は,別にお店に全ての術式が張り出されているわけではないらしい.なるほど口伝というやつか.しかしこちらには文明の利器「Starbucksアプリ」があり,これを使いどういった詠唱―カスタマイズ―が可能なのかを調べることができた.

慎重に術式を組み上げた結果「イングリッシュブレックファストティーラテ・ホット・トール・シロップ無し・低脂肪乳・エクストラホット」という呪文を常用するようになった.「スタバって呪文唱えなくてもコーヒー頼めるの?」と真顔で言ってから8年.齢30にしてついに呪文を唱えられるようになった.見てるか,当時の自分よ.俺はやったぞ.



そんなこんなで出社するたびに「イングリッシュブレックファストティーラテ・ホット・トール・シロップ無し・低脂肪乳・エクストラホット」を唱えていたのだが,ある時珍しく3日連続で出社することになり,毎日「イングリッシュブレックファストティーラテ・ホット・トール・シロップ無し・低脂肪乳・エクストラホット」を唱えると,冷静に考えるとそれだけで1,500円も使っていることに気づいてしまい,以後出社するたびに詠唱をすることはなくなった.

1回詠唱するごとに540円も掛かるなんて!という貧乏性は,8年経っても変わりそうにない.